三陸鉄道株式会社×公益社団法人日本広告制作協会(OAC)
三陸鉄道様からのメッセージ
今回も三陸鉄道イーハトーブカレンダーへのたくさんのご応募、ありがとうございました。
三陸鉄道は2024年40周年を迎えることができました。
これも日々ご利用いただいている地域の皆さま、観光客の皆さま、震災や台風などで大きな被害を受けた時に復旧・復興に御尽力いただいた皆さまをはじめ、三陸鉄道を温かく応援してくださってきた全国の皆さまのおかげであり、心から感謝申し上げます。
今後も私たちは、多くの皆さまへの感謝の気持ちを胸に、賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の精神を忘れずに
地域の皆さまの利便性を高め、県内外の皆さまに楽しい旅を提供するため社員一丸となって取り組んで参ります。
三陸鉄道は、これからも走り続けます。
※各月の作品はクリックして拡大表示ができます。
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「峠」(抜粋) 春と修羅 第二集より
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賢治29歳の1月、自分を見つめる旅だったのでしょうか三陸沿岸の久慈・堀内・宮古・山田・大槌と巡り、 最後は釜石の叔父さんのところに一泊し花巻に戻ります。五日間の行程でした。当時は船と徒歩が中心のようですが、 歩きながら今後のことを考えたのでしょう。新しい風が翔ければ…賢治は翌年花巻農学校の教師を辞め、 自ら農耕者としての生活へと歩みだします。
「セロ弾きのゴーシュ」より(抜粋)
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セロ弾きのゴーシュは、楽団の中ではあまり上手ではありません。なので毎晩一生懸命練習していますが、イライラも募ります。
そこに毎晩日替わりで、三毛猫、かっこう、タヌキの子、野ネズミの母子がやってきて…。お話しは読んでもらうとして、
ここでは山田町、大槌町、釜石市などの郷土芸能である「虎舞」も描いてもらいました。各地で行われるお祭りなどで
ご覧いただけます。
「眼にて云ふ」(抜粋) 疾中より
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生きているから色々なことはあるわけで、春めいてきた頃、「わたくし」は喀血が止まらず、言葉を発することが出来ません。医師の手当を受け、おそらく家族も不安げに見守っています。でも本人は、その様子や周りをのんきに俯瞰しています。
悩みや苦しみも自分で俯瞰できれば、軽やかになれるのかな。
ぜひ全文をお読みください。
「見よ桜には」補遺詩篇 II (兄妹像手帳)より
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それぞれが、それぞれの場所で輝いていてほしい!そう願っているように思えます。
三陸沿岸には宮古市の臼木山や長沢川桜づつみ、釜石市の唐丹町本郷の桜並木などの桜の見所も多数あります。
なお兄弟像手帳とは、賢治の死後、愛用していたトランクから見つかった二冊の手帳の一つで、親兄妹宛のものです。
もう一冊の手帳には、「雨ニモマケズ」などが記されていました。
「小岩井農場パート9」(抜粋) 春と修羅より
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めぐり会えた偶然、もしかすると必然なのかもしれないその出会いに感謝し、別れがくれば、さびしさを受け入れつつも、それでも前へと進んで行く。最後の「かっきりみちをまがる」が、それでも吹っ切ろうと新たな一歩を踏み出すようです。
※ラリックスとは、カラマツのことを指します。
※三陸鉄道は、実際には「小岩井農場」付近を走行していません。
「雲を濾し」 文語詩未定稿
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子どもは晴れて風が強い日など、風に向かって走り出したり、飛ばされないように両手を広げてグッと踏ん張ってみたり、風とも友だちになれます。
「風の又三郎」の冒頭部分に、「青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。」という箇所があります。
この詩の風景に似ていますね。大人も、もっともらしい顔をしていないで、もっと自然に向き合うべきかもしれません。
「楢ノ木大学士の野宿」より(抜粋)
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この物語は、賢治が亡くなった翌年の1934年に発表されました。
楢ノ木大学士は海岸を歩いていて、雷竜(らいりゅう・かみなりりゅう)と出会います。ブロントサウルスなどをイメージしていたのかな。
さて、1978年岩手県岩泉町茂師(モシ)で日本初の恐竜化石が発見され、「モシリュウ」と名付けられました。全長は22mと推測されています。
物語の中で、「白亜紀の巨きな爬虫類の骨格を博物館の方から頼まれ…」とありますが、「モシリュウ」が発見された地層も白亜紀のもの。
地質や鉱物を学んでいた賢治には、ありうる話として捉えていたのかもしれません。
「鹿踊りのはじまり」より抜粋
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この物語では、6頭の鹿が、これは何だ?と白い手ぬぐいの周りを恐る恐る廻っています。賢治の妹さんの岩田シゲさんの回想録の中に、花巻まつりの門付けで鹿踊りがやってきて、この物語の鹿のように手ぬぐいを気にする鹿たちの踊りが披露されたそうです。賢治は面白かったのでしょう、高く拍手を打ち、シゲさんは「あ、拍手なんかして恥ずかしいな」と思ったそうです。
この時の印象が、「鹿踊りのはじまり」のはじまりだったようです。岩手各地で行われている鹿踊りですが、三陸沿岸では、田野畑村、宮古市、岩泉町、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市にて8月のお盆時期や、9月の開催が多いようです。
「黄いろのトマト」より抜粋
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この物語では、「四角な家の生物」=サーカスの象が、PRよろしく道を歩き、サーカス小屋に向かっています。
ここでは象を「久慈秋まつり」(9月の第3金曜日から3日間開催:前夜祭第3木曜)の山車に見たてて描いてもらいました。ぜひ実際に足を運んでみてください。
象を見た二人のようにビックリするかもしれません。
そして「黄いろのトマト」もぜひお読みください。ちょっと切ない不思議なお話しです。
「何と云はれても」(1054)詩ノートより
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四方八方に伸ばした枝で様々なことを見て、感じていた「若い山ぐみの木」。
そして見て感じたことは、いつか実になります。
渋いものも、酸っぱいものも、甘いものもあることでしょう。
それがその時の若い山ぐみの成長。
「何と云われても」賢治はそう思ったんでしょうね。
「きみにならびて 野にたてば」(抜粋) 文語詩稿 五十篇より
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この詩は「雨ニモマケズ」手帳に書かれていたもので、最晩年の作と思われます。
初期稿では、「鳥だって誰かと巣をつくるのに、あなたは山ばかり見てるのね。つれないわね」と、相手に言われ、「いや、そうじゃないんだ。恋する人々の永久の幸せを想ってるんだ」(以上意訳)と返す賢治。
理想を追求する賢治ですが、一人の人を幸せにする道もあったはず。そうなっていたら…と、心の中では考えていたのかもしれません。
※まろばしぬ=転がした
「雨ニモマケズ」 補遺詩篇 II(雨ニモマケズ手帳)より
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ドウイウモノニあなたはなりたいですか?
この詩の後半は「行ッテ…」と、行動する姿が描かれています。想っているだけはなく、実際に動くこと。失敗や苦労も行動するから得られる産物。その経験がこれからに繋がります。三陸鉄道も震災、台風、コロナ禍にも負けず、雨をも、風をも、雪をも、夏の暑さをも楽しみ、これからも走り続けます。
宮沢賢治の書いた、詩や物語から各月の季節感にも相応しいフレーズを選んだつもりですが、改めて言葉のチカラって凄いなと、感じました。
12月「雨ニモマケズ」は言うまでもなく、3月の「眼にて云ふ」(抜粋)はぜひ全文をお読みいただきたいし、4月の「見よ桜には」、5月「小岩井農場パート9」、6月「雲を濾し」などは、日々の生活に元気を与えてくれそうです。また今回は、賢治のフレーズからイメージした世界を現代の岩手、三陸に投影した作品に仕上がっています。
2025年、日々カレンダー見詰めつつ、いつの日か、ぜひ宮沢賢治が夢見た理想郷である岩手、三陸=イーハトーブを探す旅にお出かけください。そのヒントもカレンダー巻末にはご用意いたしました。
あなたのイーハトーブを見つけてください。