経営部会・開催報告

経営部会・紙のちから委員会企画 美濃和紙の⾥⾒学 開催報告

  • 開催日2018 年10 月19 日(⾦)
  • 参加者数10名
  • ⼣⽅から経営部会を名古屋で開催するのに伴い、紙のちから委員会では『紙』の意義を⾒直す⾒学会を開催。
    10 時に名古屋駅に集合し、美濃和紙の⾥会館を目指しました。

美濃和紙の⾥会館

  • 前日の18日は、ここ美濃市で『美濃和紙サミット』は開催されていましたが、それには間に合わず翌日の訪問とはなりましたが、参加者はワクワク。
    美濃和紙の里会館では、美濃和紙の歴史や製造工程が見学できます。
    ちなみに本美濃紙は、大宝2年(702年)の戸籍用紙が正倉院に現存しているそうです。
    1300年以上、残っているわけです。保存環境も良いのでしょうが、すごいものです。
    また、本美濃紙は、最高級の障子紙として取扱われているほか、文化財の保護修理用紙としても使用されているそうです。

  • この会館では、美濃和紙以外にも全国の和紙を紹介するコーナーも。

    当日は地元の小学生でしょうか、手漉き体験も行っていました。

  • 水も大切な役割を果たしているようで、近くを流れる長良川、その支流である板取川はとても水が綺麗でした。

昼食を済ませ、向かったのは

重要伝統的建造物保存地区『うだつの上がる街並み』

  • 写真が『うだつ』です。
    隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られていたようですが、江戸時代からは装飾的な意味に重きが置かれるようになり、自己の財力を誇示するための手段となったとあります。うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていたようです。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられているようです。
    と、調べて初めて知りました。

  • うだつのあがる街並み

旧今井家住宅・美濃資料館

  • 悪代官ではなく佐藤さん

  • 昭和16年まで庄屋を務めていた和紙問屋。
    江戸中期に建てられたようです。

  • 千鳥貼りと言われる障子の貼り方。
    障子紙に縦線が入っていますが、これ紙と紙を貼り合せています。

  • 館長さんが、いろいろと説明してくれました。あまり時間が取れない旨、告げると「あれも観せたい、これも観てもらいたい。では、あと二つだけは・・・」と、水琴窟と蔵を案内いただきました。

  • この水琴窟は、環境庁が選んだ「日本の音風景100選」に認定されていて、 この音を聴くためにここを訪れる方もいらっしゃるそうです。

  • 館長さん、3つある蔵の一つだけは観てほしいというので見学。
    ここで紹介されたのは、ここ美濃の国、岩村藩の家老を務める家柄の佐藤一斎。
    江戸の浜町、岩村藩下屋敷にて生まれたそうです。
    長じて江戸、昌平黌の塾長となり多くの門人を育てます。門下生は3,000人と言われ、一斎の下から育った弟子として佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠など、いずれも幕末に活躍した人物がいるそうです。また西郷隆盛は、佐藤一斎の著書「言志四録」を愛読書としていたそうです。

  • 館長さん、どうしてもこれだけは伝えたかったんですね。

    「言志四緑」
    2001年、時の総理小泉純一郎さんが、教育関連法案の審議中に下記の言葉を引用して知名度があがったようです。
    『言志晩録』第60条
    「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
    壮にして学べば、則ち老いて衰えず
    老いて学べば、則ち死して朽ちず」

    館長さんの熱意を感じる時間でした。ありがとうございます。

  • その後、参加者一同は造り酒屋さんなど、見学し「うだつの上がる街並み」を後にし、
    夕方からの経営部会へと向かうのでした。

    2名、単独行動中で映っていません。

  • 以上