KEI OGATAさん/フォトグラファー
RYUJIさん/ヘアメイク
島崎 純子さん/モデルエージェンシー 代表
私たちが携わっている「クリエイティブ」という仕事は、経済社会の一つの機能であり、会社としては事業であり、個々のクリエイターにとっては職業として生きる糧であり・・・
“生きがい”でもあります。クリエイティブは世につれ、世はクリエイティブにつれ・・様々なことが大きく変化する時代の中で、クリエイティブが今後も変えてはいけないこと、そして変わっていくべきことは何かを考察します。
RYUJI
仕事は一緒にやってきたメンバーですが、今回はOACさんからお話をいただいて、広告やクリエイティブついて、改めて話し合うことになりました。今日はよろしくお願いします。
まずは、なぜ今の仕事に就いたか、というところからお話を伺えますか。
KEI OGATA
私がカメラマンを目指したのは、学生時代に広島での原爆記念式典に東京から来た報道カメラマンを見て「カッコイイ」と思ったから。
それでカメラを買って、報道カメラマンになる為に撮りまくって。ある時頼まれて、歌手志望の女性を撮ったら話題で、被写体に喜んでもらえるのが嬉しくて、人物広告関係の写真スタジオに入りました。
島崎
私は1983年からアメリカに住んでいたのですが、ビザの関係で日本に一時帰国しました。
ビザ発給までどれくらいかかるかわからず、その間のつなぎとして、アルバイトとして某デパートのファッションショーの撮影現場に通訳で入ったんですよね。
そこでモデル事務所の社長に、面倒見もいいし英語もできるのでマネジメントしてみない?と言われたことがきっかけです。最初の1週間で、これが私の天職だ!と思いました。
RYUJI
ぼくの場合は、ちょうど10代の終わりごろがファッションショーが全盛期の時代だったんですよね。それで、この世界に飛び込みたいと思ったことが始まりです。
その後ご縁があって、パリで15年くらい活躍されていたヘアメイクの方に出会えて、彼に20歳で弟子入りしたことでキャリアがスタートしました。
私たちは80年代後半に、若手で頑張っていた訳ですが、そのころのお二人の話を伺えますか?
KEI OGATA
ぼくは70年代の話からでいいですかね!
1976年に東京のスタジオに入って3カ月くらい経ったころかな、ファッション雑誌の仕事をしたいと思うようになっていました。
あるとき、ニューヨーク帰りのカメラマンの撮影に入ったのですが、びっくりするくらい自由な撮り方、感性、モデルさんとのコミュニケーションなどすごく新鮮で、言葉もできず、旅費も親に借りる様な状態でしたが、77年にニューヨークへ行きました。
運よくスタジオに入ることができて、そこがVOGUEの撮影をしていて。カメラマンの技も感性もすごくて、ライト1個立てて、自分が動けば立体感も、陰影もつく。被写体とはしっかりコミュニケーションをとる、それを見て、これが本来の姿だよなと。
島崎
私は85年ごろでしたね。バブル前、日本が絶好調の時代で、スーパーモデルと呼ばれる人たちが日本に来ていて。
世界のトップモデルが間近にいて、ファッションショーがたくさんあって。
とにかく刺激が多く楽しすぎて、もうアメリカに戻るために帰国したってことも忘れちゃいました。
RYUJI
ぼくは1988年に20歳で、井上浩さんというヘアーデザイナーに弟子入りして、23歳の終わり頃にフリーになりました。
当たり前ですが、最初はなかなか撮影のお仕事がなかったですね。
でも、その頃は、よくファッションショーのお仕事をお手伝いさせていただいていたのですが、当然モデルの人数に合わせてヘアメイクが何人もいるので、モデルは自分が希望するヘアメイクを選んでそこに並ぶんですよね。
「次私やってね!」みたいな感じで、、、もちろん最初は上手いのか下手なのかわからない自分の前には並んでくれません。
そこでモデルに僕にあなたのヘアメイクをさせてって直接頼むんです。
それで一度やって、こいつうまいなと思われたら次に会った時にまたヘアメイクをさせてもらえるんです。
モデルが並んでいるヘアメイクは、また次のショーに呼ばれるようになります。
だから1回1回のお仕事が、勝負でした。
島崎
あの頃の日本は、そして世界的にも、ショーモデルと、雑誌モデルは分かれていましたよね。
私はモデルを招へいする役割だったので、海外のモデル事務所とコネクションをつくって、信頼してもらうことで、実力のあるモデルをいかに呼ぶかが勝負でした。
1985年からこの仕事をして、1995年に会社を設立したんですけど、最初はニューヨーク、パリ、ミラノ、ロンドンに行ってモデルを呼びたいとオファーを出したくても門前払いばかりで。
くじけそうになるほど通っても、実績と言う実績もあげられない。だから、来てくれたモデルをハッピーにして帰す。そこから世界につながって、評価されるようになりました。
KEI OGATA
日本人でいうと、冨永愛さんは、かっこよかったよね。世界で活躍する資質も実力もあった。
島崎
世界という視野で見ると、日本を代表するモデルの一人ですよね。
クライアントやカメラマンが、何を求めているかがわかる人。
RYUJI
撮られる側として、その瞬間に何をするべきか、何を見せるべきかがわかっていますよね。
KEI OGATA
それはカメラマンも同じですよね。
もっとよくするにはどうすればいいか突き詰めて考える。
それは良い写真を撮りたいという思いもあるけど、ベースには、例えばVOGUEの仕事なら、VOGUEの歴史をつくろうとしているんですよね。
さらに言えば、ファッション写真の歴史を。
RYUJI
今はどうですか?
KEI OGATA
とくにコロナ禍のときは、モデルを呼んでの大きな現場がやりにくかったこともあって、ブランドがプロモデルではなく、店員をモデルに仕立てて撮影をしていました。
これは否定しているのではなくて、こういう時代でもできることを前向きにやろうとしている人たちがいるのは素晴らしいなと思いましたね。
RYUJI
そうですね、チームとして、常に変化する環境で新しいものを追いかけられているかどうかという意味もありますよね。
若い世代の人たちの話を聞いていると、世代を超えて僕達の世代が経験してきたことや考えとリンクすることがよくあります。
島崎
作り手には、流行を生み出す側にいるということを、思っていてほしいですよね。
RYUJI
その気持ちは絶対に大事ですね。
ムーブメントは自然に起きるものだけど、流行は、作り手がつくるものですからね。
流行をキャッチして追いかけるだけだと、その時点で流行の後にいるということですからね。
もちろん流行に対する意識は常に必要ですが、僕はそれよりも人の記憶に残る、仕事や作品を作っていくことが、結果的に流行になったり、ムーブメントになっていくと思っています。
島崎
昔と今の比較という流れで言うと、昔のモデルはオーディションがあると、どういうオーディションかを聞いて、いろいろ調べて、そのオーディションに合わせた髪型とかにしていきます。
今の子たちは、どっちが良いかわからないけど、そういう思いはないと感じます。
ただ今も、追い込む人はいて、例えば3日後に撮影があるなら、サウナで汗をかいて、自分の最高の状態で試合をするというか、撮影にのぞんでいます。
KEI OGATA
そういう子とは響き合えるよね。
ぼくは、サウナはいかないけど......(笑)。
撮影ギリギリまで、あのライティングでいいのか、と考える。
そんなにギリギリまでライティングするんですか?と言われる。
納得できるまで詰めていく。これって、伝わるんですよね。だから、そういうモデルも、ヘアメイクも、響き合える。
モデル、シチュエーション、ライティングをみて、これならどうかと提案してくれるヘアメイクもいて、それぞれのプロに相談できるのは嬉しいですね。
RYUJI
撮影には事前の打ち合わせがありますけど、モデルは生もので、その日その日のコンディションで見え方が違うんですよね。
だから100%前々から決めることはできないです。
やはり現場でライティングや、シチュエーションをみて、最後の調整をしたいですね。
最近はオンラインでの打ち合わせが増えて、目標地点を決めて会議をする傾向にあるので、現場でライティングや様々なコンディションを見て、打ち合わせと違ったリアクションをするのが難しい時があります。
失敗はないけど現場で生まれるアイディアやフィーリングを取り入れにくい感じがします。
KEI OGATA
それはオンラインだけの影響というより、近年の傾向かもね。
ぼくが日本に戻ってきた1990年ごろって、クリエイティブが自由で、その場のコンディションで決めていたんだよね。
それがこの20年くらい、それがなくなっていく感じで。最初にラフスケッチがあって、それに沿ってみんなやっていく。
でも、必ずしも現場で、それが良いとは限らないんだよね。そう決めてあったけど、こっちの方が良くないですかと言っても、ADの方は、確かにそうだけど、これでクライアントに通しているからなぁ、と躊躇せざるを得ないみたいな......。
ギリギリまで話し合うことが面白かったけど、なんだか決まり事になっちゃった所はありますね。
RYUJI
これは時代が変わったってことですか。
KEI OGATA
これはクリエイターの才能ではなく、時代の変化だと思う。
今のアートディレクターは「OKだと思いますけど、どうですか?」とクライアントに確認する。
そうすると、御用聞きみたいになってしまうんですよね。
でも、聞かないことが許されない空気があって、それはやはり、その人に才能がないわけじゃなくて、そういう時代なんだと思う。
ビジュアルに対してしっかりした意見を持っているクライアントが多くなりましたね。
RYUJI
昔はカメラマンにしか見えないブラックボックスがあったように思います。
変な言い方かもしれませんが、写真はカメラマンとモデルで撮っていましたね。
ぼくらヘアメイクは、撮られるモデルをベストな状態でセットに入れるのが役割。
でも、あるカメラマンに、写真は予定調和ではなく何かその瞬間でしか生まれないハプニングが起きることが、面白いと言われたことがありました。
KEI OGATA
まさにそうですね。ちょっとした動きで生まれるズレとか。
これは前もって打ち合わせで見られるものではない。
RYUJI
でも、最近は全員がモニターで撮影している写真を見るようになって、良い部分もありますが、ハプニングがなくなったように思います。
KEI OGATA
モニターがあることで、みんなで一緒に作れるようになった。
カメラマンを尊重してくれるけど、ヘアメイクもアートディレクターも意見を出したり。
これはいいことだと思う。
KEI OGATA
撮影現場だけじゃなくて、モデルそのものの神秘性もなくなっています。
昔は、いわゆる広告に出るタレントは憧れ。真似できない存在でした。
でも今は、昔でいう読者モデルのような子たちが、Instagramなどに多くいて。
憧れというより、真似できるレベルの子たちが注目されているというか。
RYUJI
ぼく達は昔、情報を自ら取りにいっていましたよね。
常にアンテナを張って色々な情報を探しているというか、、、、でも今は、何もしなくても必要な情報も必要じゃない情報もどんどん入ってくるから、情報を整理していらないものを捨てられることが能力として必要だと思います。
僕たちの時代とは真逆ですね。誰も持っていない情報をいち早く見つけて、それを取り入れた人が他の人より優ってきた時代から、入ってくる情報が多すぎて、きちんと見分けて不必要な情報を捨てられないと、何をやっていいかわからなくなってしまう。
これは大きな違いだと思います。
KEI OGATA
ニューヨークでアシスタントをしていたときに感じたのは、人にもよるけど、イタリアやフランス、ラテン系のカメラマンの写真を見ると、女性がセクシーなんですよ。
それと比べて自分の写真を見ると、カタチはキレイだけど、セクシーじゃない。
でもヨーロッパの人からみると、洗練されたキレイなライティングだと言われて。個性かなと思ったり......。
ヨーロッパで、街並みや女性の雰囲気をみると、こういう環境で育ったらセクシーな写真を撮れるよな、と思ったり......。
ただ逆に、日本の建物などの直線的で禁欲的?な造形など、世界を見たからこそ、日本の良いところもわかるようになるし......。
RYUJI
女性の「美」に対する、社会の価値観が違いますよね。
日本だと、「セクシー」という美的価値観があまり好まれないことが多いですが、海外では、逆にセクシーさが求められることが多いと思います。
KEI OGATA
日本は着物で押さえつける文化というか。セクシーが、いきなりエロとして嫌われたりもする。
RYUJI
セクシーという価値観がないのかもしれないですね。
KEI OGATA
たしかに、セクシーという価値観は少ないかもしれないですね。
良い悪いではなく、文化の違い。その違いが、海外に行って、初めてわかる。
島崎
でも、日本と海外で売れる子に、明確に差はないって私は感じます。
これは、お二人のいう感覚というか、違いに気づく力があるってことなんだと思います。
海外に出ることで、それが磨かれるとは思うんですが、一つの国で売れている子には、それが自然と身についているんでしょうね。
RYUJI
日本と海外の違いという点では、クリエイティブよりも、マーケットの幅の違いを感じます。
海外だと、商業写真だけでなく、写真をアートとして売っていくマーケットがありますよね。
日本には写真をアートとして売る、という文化がありませんよね。
これはマーケットとして大きな違いというか、作品性の高いものが商業以外で評価されるというマーケットがあるのは、海外の面白いところだなと思います。
KEI OGATA
結局は、海外特にヨーロッパと日本の、文化の違いじゃないかな。
日本は、カワイイが好きだからね。良い悪いじゃなくて感性の違い、求めるものが違うんだと思う。
だから日本は入れ替わりが早いよね。韓国とかも同じで、アジアの特性なのかもね。
大人になると、色々な意味で綺麗になったり魅力的になるけどね。
RYUJI
ある美術館を創られた方がおっしゃられていたのですが、日本人は、小さいものと幼いものを愛でる文化が根づいているっておっしゃっていました。
例えば箱庭とか、ミニチュアとか、小さいものや未成熟のものをカワイイという価値観で評価する。
確かにそうだな、、、と思います。
島崎
少し前は、14~17歳くらいのモデルがたくさんいました。
でも最近は、そういう子は少なくなりましたね。
成熟した方が求められるようになったんだと思いますが、そうはいっても中心は20代です。
あと海外という意味では、プロモデルではなくても、世界で戦っているバレリーナとか、そういう人の魅力に、世の中が気づいたように思います。
KEI OGATA
撮る側からいうと、例えばバレリーナとして極めている人って、体の動きがとにかく美しい。
モデルとして意識が高い人のポーズや表情と同じで。
何か自分を持っている人は撮影しやすいし学ぶことが多い。
島崎
自分を持っているってとても大事で。
カメラの前で、若いうちから例え上手くなくても自分なりのポーズをとっている子が伸びていくように思います。
RYUJI
もう一つ、日本と言う土壌は、プロフェッショナルが育ちにくい土壌なのかなと思うこともあります。
器用なので何でもできるけど、何か一つのことを突き詰めることがしにくいという気がします。
例えば、ファッションエディターとかビューティエディターといったお仕事なども、海外と日本では成り立ち方の違いを感じます。
海外ではかなりの専門職で、そういった学校で専門知識を身につけた人がなるイメージですが、日本では、文系の大学を出てファッションが好きだから雑誌社に入って、専門知識もないまますぐにファッション誌やビューティー誌のエディターとして雑誌を作っていかなければならない。
その方達自身も最初はすごく大変なのではないでしょうか。
KEI OGATA
向上心を表現しにくい社会なのかもしれないね。
でも、どんな時代でも、オッという人材は出てくる。これは確かだよね。
RYUJI
そうですね。日本の方が、若手にチャンスが回ってきやすいのは事実ですよね。
実際に僕自身も、フリーになったばかりで自身も実力も伴わない時期に、色々とお仕事をさせていただきました。
その後8年ほど日本でキャリアを積んで、31歳でニューヨークに行ったのですが、初めのうちは日本でフリーになったばかりの時に頂いていたような仕事はが多くて、アメリカのマーケットの層の厚さを感じると同時に、日本で経験させていただけたことに感謝しましたね。
KEI OGATA
たしかに日本は、新しいもの好きだからこそ、チャンスをもらいやすいかもね。
でも、ダメだと替えられるから、そこはシビア。
海外は、任せられるまで時間はかかるけど、任せられたら、長年にわたって、一緒につくっていく、という感覚があるよね。
そういう意味では、日本も海外も、人とのつながりが大切ということは、同じなんだろうね。
島崎
才能というか、能力やクリエイティビティというのは、自分で気づくこともあるけど、人に発掘されることもあると思います。
撮影現場で感じるのは、クリエイティブワークって、コミュニケーションだということです。
KEI OGATA
それは同じですね。自分だけではいいクリエイティブはできないと思う。
気づいなくても、色々な人の影響受けているし。
自分の中に、期待も、不安も、新鮮さもあって。新鮮に感じられると、年齢とか関係ないって思うよ。
これでもう大丈夫って安心しないで、もっとできるんじゃないかな?っていつも思う。
そこが、年齢や職種を超えて、響き合うには必要だと思う。
島崎
私の立場としては、モデルに限らず、関わるスタッフが力を発揮できる環境づくりが大切だなって思います。
緊張していると力は発揮できないので。
お互いがお互いを尊重しあっている空気はみんなわかっていて、そういうチームは、いいものがつくれると感じます。
RYUJI
それがクリエイティブとアートとの違いなんでしょうね。
一人でも他人の感性や考えが入るのがクリエイティブ。
人を尊重しないとクリエイティブとは言えませんよね。
アートは、自分がやりたいこと、考えていることを世の中に提示することが重要で、それを見た人が好き嫌いがあって当たり前ですが、クリエイティブは、たくさんの人に評価されることが大切だと思います。
KEI OGATA
作家的なアーティスト以外は、一流の人は、一緒につくっていく。それは一つの真実だね。
あとは、古いものに固執せず、新しい感性や技術を取り入れる余裕かな?
島崎
AI技術が進んで、モデルがいらなくなる、ということも言われていますけど、やはり、人が集まって作り上げていくのであれば、モデルの人間味というのは、これからも必要だと思っています。
RYUJI
そうですね。
日々デジタルテクノロジーの進化は感じますよね。
時々何が正解かわからなくなったりします。
以前、コロナ禍のときに撮影が減ってメイクをすることが少なくなったのですが、自分をアップデートしなければいけないという思いがあったんですよね。
それで始めたのが、散歩したときに気になったものをスマホで撮影して、それをイメージソースにしてメイクデザインを立てて自分で撮影をしていたんです。
「スナップメイク」と呼んでいるのですが、今はデジタル技術が発達して誰もがスマホでまあまあ綺麗な写真を撮れますよね。
そういうものと、一流のフォトグラファーたちが努力をして能力や技術を身につけて、他の誰にもできないことを表現している写真が、同じ「写真」というカテゴリーになることに、ちょっと疑問を持っています。
KEI OGATA
それも写真だよ。写真以前に、感性と言ってもいいかもね。植物を見て、いいなと思えば、それでいい。
撮ったものに、個性、感性が出ているってことが一番大事だと思う。
もちろん商業写真ではないのかもしれないけれど。
いまスマホを誰もが当たり前のように持っていて、仕事の撮影では使われないけど、クライアントにスマホで撮ってと言われたら、ぼくは撮ります。
ぼくは、そこは自由。ただ、アートディレクターが、あまりに加工しすぎたとき、これは写真じゃないから写真に戻して、と言ったことはあります。
これも感性だと思うね。
RYUJI
そうですね。
ぼくはもともと写真が好きで、素敵な写真がヘアメイクのぼくを育ててくれたと思っています。
写真において良いヘアメイク、というところを長年突きつめてきたので、写真というものに対して、ある意味、良くも悪くも線引きしているのかもしれません。
KEI OGATA
写真になったときにどう見えるか、という視点は確かに欠かせないよね。
カメラマンの立場から言えば、デジタルでもフィルムでも、何を撮りたいか。
それを表現するのに、デジタルでもフィルムでも、スマホでも、向いているもので撮ればいい。
技術はどんどん変わるし進化するから、テクニカルな話ではなく、何をメッセージしたいか、ということにこだわり続けてほしいと思います。
島崎
こだわり、というのは、これからも変わらず、クリエイティブに欠かせないものですね。
RYUJI
感性を磨き続けること、個性を磨き続けることが大切なのかもしれませんね。
そうやって、新しいクリエイティブというのは生まれてくるのだと思います。
今日のお話が、次のクリエイティブにつながることを願っています。
本日はありがとうございました。
1977年渡米。
アルバート・ワトソンスタジオ助手を経て、1980年独立。
フリーランスとしてVogue、GQ、Harper’sBAZAARなどエディトリアルを中心にニューヨーク、イタリア、フランスなどでフリーランスカメラマン活動後、1990年帰国。現在、広告・雑誌を中心に、写真集や動画など多岐にわたり活動を始め、現在にいたる。
東京での9年間のフリーランス活動の後、2000年に渡米。
ニューヨークを拠点に、ミラノ、ミュンヘンのエージェンシーと契約し、主にVOGUEなどのファッション誌や広告、CMを中心にアメリカ及びヨーロッパ各国において活躍する。
また、Albert Watson, Sante D‘Orazio, Bettina Rheimsなどの著名写真家とコラボーレーションした作品も数多く、その繊細且つ大胆なスタイルは高い評価を得ている。
2009年4月より東京に拠点を移した後、グローバルな活動と経験で培った独特の感性を活かし、国内外の化粧品ブランドの商品開発アドバイザーを務めるなど、美容に関わる多岐にわたる分野で高い評価を得ている。
また、メイクアップを駆使した新たなクリエイションにも精力的に取り組んでおり、ビジュアル作品展やインスタレーション展を発表するなど、アーティストとしても活動の場を広げている。
設立の1995年から海外で活躍するモデルたちの日本への招聘、また海外をめざす国内で活動するモデルを海外へ送りだすことも積極的にマネージメントする。
最近では国内外のセレブリティのスペシャルアレンジメントもはじめる。
その他、カメラマン、ヘアメイクアーティストのマネージメントなどクリエイティブに欠かせない業務をする。